化粧スポンジ
今日は残業じゃなかったので、化粧に使うスポンジやパフを洗いました。毎日洗うのがベストなのは分かっちゃいるけど、まとめ洗い。
古くなったやつは捨てて、新しいものを。
いいやつを使ってみたいけど、ついつい100円ショップで買ってしまいます。今日はセリアで買った抗菌スポンジを下ろしました。
パフクリーナー以外だと、台所用洗剤で洗うのがメジャーみたいですが私は普通の体洗う用の固形石鹸(牛乳石鹸)で洗います。一度、台所用洗剤で洗ったらパフがモロモロと崩れていったのがトラウマ。たぶん素材がなにかしらで洗剤のあれやこれやに反応して合わなかったんだろうな、よくわからないけど。
あと食器洗いの匂いが顔まわりにあるのが苦手で、石鹸です。石鹸でも汚れは充分落ちてると思います。
交換は毎日します。毛足の長いパフは乾くのに時間がかかるから流石に2〜3回使い回しちゃうけど、スポンジは片面一回。両面汚れたら交換。だからいっぱい用意して、汚れたものはまとめ洗い……
リキッドファンデはもちろん、BBクリームや下地も、とにかく液体を塗り終わったら綺麗なスポンジで叩き込むやり方が好き。密着して崩れにくくなる気がするよ!たぶんだけど!
だからフカフカの豆腐のような厚みのあるスポンジは欠かせない。
おとな「学問のすすめ」
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/12/01
- メディア: 単行本
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学問のすすめ、読んだことないなぁと図書館で見つけて読んでみた。
現代語訳を併記しながら、具体的にどういうことかを解説してくれている本。とても読みやすく、サクサクと読めました。
おとな、とあるけど「子どもに対する時のおとな」という意味かな。元々が教育について書かれた本だし。
これ読んでたら、「あ、もっと勉強しておくんだった」という気持ちにさせられました。大学生くらいまでに読んでおくべきだった。
よくいろんなことを「社会が悪いから」と『社会』や『国』のせいにしがちだけど、それを作るのが自分なんだって意識がないから言える言葉だよなぁ、と考えたりも。福沢諭吉は「一人一人が自立して、自分が国を背負って立つのだ、という気概がなければ国は成長していかない。他国に侵略される」ということを明治の時代に訴えたわけです。
最近は兵器、武力を持って力を誇示していくべきだという世の中になりつつあるように思います。でもあの激動の明治の時代に日本という小さな島国が、独立国家としていられたのは福沢諭吉をはじめとする明治の人たちが国のためを考えて、前を向いて生きたから。そう思うと、今の日本があることの尊さとこれからの危うさを感じました。
国民一人一人が独立して成長出来るような気概を持てることが、国の独立の基盤だということ。ぼんやりしていたら、平和や独立は確実に失われるものであること。身にしみました。
教育という面では、今の自分ではもうなかなか生かしづらい状況だけれど、ゆくゆく出会うだろう子どもたちに勉強をなぜしなければいけないのか、ということを伝える時に頭に入れておきたいなと思います。
あと、1番心に残ったのが「上機嫌は徳である。誰が玄関に髑髏が飾っている家に入ろうと思うものか。人間も同じことである」という、「いつも上機嫌な人がいい、シンプルでわかりやすい言葉。
ムスッとしがちな人は損しかしていないのじゃないかなと日頃思うことが多かったので、すっと胸に落ちました。
うーん、いつも上機嫌な人でいたいなあ。
読んでる間、終始、「これつんくさんが作ったあの曲の歌詞と同じこと言ってる」と感じていました。
つんくさんはとにかく「地球のことを愛せない人に私のこと愛せれるわけないでしょ」とか「どんな有名人もちびっこも一生懸命愛と未来を信じて頑張るから、明日の素敵な未来が作れるんだよ」ということを伝えてくる歌詞が多くて(有名な曲には少ないんですけど、アルバムやカップリング含めたら結構多いんです)、私はそういうところが大好きなんです。それを再認識させられました。
最初は「つんくさん、地球規模とか壮大すぎる……笑」とか思っていたんですけど、だんだん「そのくらいの気概がなきゃ何も成し遂げられないよな」と思っていたところに、この本を読んだので、なんども膝を打って立ち上がりたい気分で読んでいました。
はあ、読書感想文が下手。まとめられない。
久しぶりにマキアージュ
インテグレートのパウダーファンデを愛用していたのですが、ふと、昔使っていたマキアージュのパウダーファンデがまだ残っていたのでなんとなく今日使ってみたら……
めっちゃいい。(当たり前)
やっぱり安いのはくすみやすいし、乾燥する……もうプチプラじゃ足りないオバさんの肌になってきているのを実感した……
インテグレート、適当にガシガシ塗っても厚塗り感が少なくて良かったです。
その代わりカバー力はほぼ無かったですね。コンシーラー使わないと目の下のクマ、ニキビ跡の色むら、鼻横の赤みは消せなかった。
その点、マキアージュはひと塗りですよ。
安くてもいいものはいい!と思ってましたが、この辺りは値段なりかなぁ。
これ以上のやつ使ってみたくなりますね。しかし、お金には限りがあるのである。
色物(アイシャドウやチークなど)はあまり高いものと安いものの差を感じられた事、今のところ私はないんですけど、ベースはてきめん……
のっぺりがおなので、パーツメイクよりベース整えた方が綺麗に見えるっていう私の顔の構造によるものの可能性大ですけどね!
美容室について
今お世話になっている美容院、気に入っているんですけど……
毎回美容師さんに
「最近読んだ本で感銘を受けたものはなんですか?」
「前向きになったきっかけはありますか?」
って面接みたいな質問されるのが苦痛です。
私の会社はゆるゆるなので、
採用面接でもこんなガチガチの質問されなかったぐらい……
2人美容師さんがいて、そのうちのひとりの男性美容師さんだけなんですけど、ここの美容室は指名ができないタイプのところで。避けようがないのです。いやです、とも言えないし……っていうか夫婦でやってるところだから奥さんに言うことになっちゃうし……
ウニャウニャ悩んでいるうちに頭のてっぺん黒々としてきた。そろそろ決めないと、いけません。
初版が1995年。
久しぶりに読み返し。最初に読んだのは中学時代だったかな。その頃はただの面白エッセイのように捉えてたように思うけど、今読むと、また違う感想が湧いてきますね。かなり昔の本なので、出産育児についてのノウハウは変わっているだろうけど、精神論はすごく参考になる。いつか来るかもしれない日のために。#さくらももこ#エッセイ#図書館の本 #読書好きな人と繋がりたい
ig貼り付けるだけで更新とみなして欲しい
まだ読みかけ。読み終わったら、感想文をこちらに書こうと思います。
行ってこぉわい。
『西の魔女が死んだ』という小説にの中に
死んだ身内が、あの世へ行く前に会いに来てくれたという描写があります。
母親が何の話の流れか
「死んだ時って成仏する前に知らせられたりするんかな」
と言って来たので
その本に書いてあったことを話して、
「お母さんの方が先死ぬだろうし、もし死んだらこの世のお別れの前に会いに来てみてよ。窓叩いたりするだけでいいからさ」
と冗談で言ってみました。
母親は「えー、そんなんできるかなぁ。まあ出来そうだったらやってみるわ」
と笑ってたんですけど、そんな話はもうすっかりわすれていたわけです。
多分二十歳なりたてかそこらの時だったので、5年は前のこと。
実際、去年母が亡くなったわけですが、その四十九日の前夜にすごい小声、でもめちゃくちゃ耳元で2回、名前を呼ばれたんです。
あんまりにもはっきり聞こえすぎて「はい」って思わず返事したくらい。なんでかはっきり家族の声だっていう安心感はあったから、「あっ、寝坊したから起こされてるんや!」と思って飛び起きたら家の中真っ暗で、時計見たら午前2時くらいだった。全然寝坊じゃない。あれー?
夢かな?と思ったけどあまりにもはっきりしすぎてたので気になって翌日、祖父母に「昨日私を呼んで起こそうとした?」って聞いてみましたが、「いや、朝まで起こしてないよ」と言われました。
父親にも同じことを聞いたら、「いいや。お母さんやろ」。
そこで初めて、あー確かにお母さんの声だったわ!と納得しました。
ま、正直寝てた時のことだから夢なんでしょうけどね。
ただ、仏教でいうと四十九日がこの世から旅立つ日っていうのも意識してなかったし(ただの親戚の集まりくらいの感覚だったw)、母と「会いに来てね」と話をしていたこともすっからからんにわすれてて、そんなことがあった後にしばらくしてから思い出したくらいだった。
だから、あれはお母さんが挨拶に来てくれたんだなと思っています。ぴったりすぎるもん。四十九日の意味と、お母さんとの約束が。
お母さん、あの話を覚えてたんやーとびっくりした。
そして、あれ以来、母のことを夢に見たことは一切ありません。もちろん、幽霊のような状態で見たことも。
もうこの世に未練なく旅立って、無事お浄土について楽しく暮らしてるのかなと想像しています。
もし帰ってこれるなら、私の結婚式とか子ども産まれた時に帰って来てねっていうのは忘れたな。まあ、来る気がします。透析日の心配もないことだし。
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タイトルは、今治弁で「行って来ます」。