ばあちゃん
母方の祖母が軽い認知症と足の麻痺で介護施設に入所しております。
ただ、先日所在地の周辺で「インフルエンザ警報」が出てしまい、面会謝絶となってしまいました。
もともと「会いにきて」「もっとこまめに会いにきて」「なんで毎日来てくれないの」と寂しがって駄々をこねていましたので、今頃「誰も会いに来ない!」と怒っていそうで心配です。
認知症は軽くても、説得というのがなかなか難しくなるものなんですね。インフルエンザになったら大変だからしょうがないでしょ、という理屈は通じてないような気がします。職員さんを困らせていないといいのですが……。
おやつを持っていく場合、職員さんに預けて食べ過ぎないようにしなきゃいけないのですが、それをすごく嫌がるんです。部屋に隠しておいておきたいと言う。隠しても世話するためにはいってくるし、ゴミとかで普通にバレるんでダメだよと何度も説得してなんとか納得してもらうんですが、先日理由がわかりました。
おやつの時間になったのでそのタイミングで私も帰ろうと思って、車椅子を押してみんながいる大広間へ行ったんです。おやつの配膳をしている職員さんが数人いたのですが、その方々に向かって
「お兄ちゃん、食べな」
「あんたも食べな」
といって私が持ってきたお菓子を配ろうとするんです。果てには、配られたおやつまで
「お兄ちゃんお腹すいたろ、食べな」
と渡そうとする。
当たり前ですが、職員さんたちはみんな
「お孫さんがばーちゃんにってくれたもんやけん、私らはいらんよ」
「ぼくお腹すいとらんよ、大丈夫、これは〜〜さんの分ですよ、食べてください」
と断ってくれるんですけど、そのやりとりをしないと食べ始めないらしいんです。
気を使い過ぎでしんどいらしいから、おやつを職員さんに預ける(見せる)のが嫌なのかと気づきました。
そういえば、昔から
1100円くらいの距離のところを
「タクシーのったら2000円はかかるけん乗らん」
と言うので、値段違くない?と聞くと
「いや、お釣り受け取れない。あんたコーヒーでも飲み、と言わんといけん」
と返す人でした。
よく母親(祖母の娘)と
「いや、お釣り受け取らんよりも
また使ってあげるのが一番やろ!!」
と呆れたものです。
実際、祖母もそう言うタクシーの運転手に何人も出くわしてたらしいです。
「お母さん、構いませんから。
その代わりまた使うてやってください」
と。でしょうよ……。
でもそれをしないでいられないばあちゃんは、優しいなぁと思いました。私はそういう気遣いに全く気が回らず、あとで後悔するレベルなので……。
インフルエンザ警報が消えたら、また会いに行こう。去年解除されたのは、すっかり暖かくなってかららしいのですけどね。それまでばあちゃん、耐えてください。
あったよ、難解文章の森。
難解な文章を読むのが好きだという記事を書きましたが、めちゃくちゃ身近なところでわけわからん文章、ありました。
アイドルブログのコメント欄です!
何言ってるのかわからないテンションの人が多くて、脳がグニャグニャします。
2017年1月25日 日記です。
今日は一段と冷え込みました。
今朝、会社の門のレールの中の水たまりがガチガチに凍って動かなくなりました。
門が開かないので当然、従業員の車も入れなくて、そのために前の道が大渋滞。
通勤中、道がえらく渋滞していて、「なんだよ、冬用タイヤ履いてない人でも前にいるのかな。イライラするな」と思っていたら、原因は弊社でした。申し訳ありません。
明日はもっと冷え込むようです。当該地域の方、ご自愛ください。
めちゃくちゃ話変わるんですけど、乳酸菌系ドリンクって美味しいよね。
難解ブログ
下手くそな文章がグッとくる。
小学生でももっと書けるのでは?ってくらい下手くそな作文を大人が書いているのにグッとくる。
めちゃくちゃ脳を回転させないと書いている意味も分からないときなんかは、普段使っていない脳の一部を使っているのか、まるであまり動かさなかった筋肉をググッと伸ばしていくような痛気持ち良さがある。
ギャル御用達ブログサービス、CROOZやホットペッパービューティーに繋がっている美容師のブログでよく見つける。CROOZはおそらく友達が読む事しか考えられていないために起こるハショリによって混乱していくのが楽しいし、美容師さんのブログは職業柄ゆえのサービス精神で楽しませよう!という前向きな気持ちをカラ回りするかのような「書けてなさ」が心地いい。
一般の人たちのブログにもたくさんあるんだろうけれど、すみません、私の検索能力ではあまり見つけられなくて、手っ取り早くこの辺のサービスからグイグイ探してます。
とはいえ、そんなひとはほとんどいなくて、みんなちゃんと書けているので、書けていない人を探すのはかなり難しい。宝探しのような楽しさもあるのだ。
読解困難な小説(ドグラマグラとかね)を読むのも似たような痛気持ち良さがあるのだけれど、でも、読めたからといってそこに内容がないという脱力感(ブログなんて中身はないわよ)がまた気持ちいいので、探すのがやめられない。
『この世界の片隅に』
昨日は書き損ねた。
仕事から帰ってきてずっと、『この世界の片隅に』を読んでしまったからだ。読むというだけに、漫画の方。
昨日読み始めたわけではなくて、数日前にすでに読了済みだ。でもあれから何度も読み返している。
登場人物一人一人の気持ちをもっと知りたくて何度も読み返しているんだけど、そろそろ限界。この先はこの人たちの日常をもっとしらないといけないんだなという感じになってきた。
遊郭の存在はいまの風俗店と立ち位置は同じ?違う?とか、軍人さんとはどんな存在なのか、とか、あの当時の結婚はどんなものなのか、とか。
自分の知識のなさと理解力のなさにもどかしさを感じる。
それくらい、「この人たちに気持ちを寄り添わせたい」と思わせる話ってすごいと思う。
しばらく、この漫画を知ってはいたけど読んでいなかった時間がある。それがもったいない。もっと早く読んでおけばよかったと久々に思えた作品。
ただの戦争ものだと思ってたけれど、違った。ただの「日常」だった。その日常が、いまの日常とは違う、というだけだ。
ゴウゴウと戦闘機が銃撃してくる中で、普通の会話を繰り広げてる。なんなら喧嘩をする。
死ぬかもしれない、死なないかもしれない、その分岐がとても身近にあったのがあの時代だったのかとハッとした。
感想は頑張ってもかけない。よかった、としか出てこない。